人間万事最後が群馬 第1回
2008年10月初旬、私は、上州は群馬産午年生まれの愚妻を同伴して、今はやりの郊外に出来ている大型ショッピングセンターにある映画館で「三本木農業高校、馬術部」を観に行ってきました。映画の内容はともかく、スクリーンに写しだされた四季を通してのあの鮮やかな景色が今もって目に焼きついて離れません。現校舎に移ってから40有余年になるというのに、一度も足を踏み入れたことはありませんが、あの映画を観たことでイメージがすっかり出来上がったような気がします。しかし、私には旧校舎小稲の桜だけは消すことが出来ません。とくに「桜風寮」周辺の桜、これはこれは見事でした。寮から見える池に、花筏が浮かぶ様は、印象深く私の脳裏に残っており、桜吹雪の映像とダブらせて目頭を熱くしてしまいました。
さて、私は、現在群馬県藤岡市というところに住んでおります。在住44年目に入りました。我が家からは赤城山、榛名山、妙義山の上毛三山や群馬・長野県境にある浅間山が見え、遠くには白根山や谷川連峰が望めます。
藤岡市は高速道路の関越道と上信越道の分岐点にあり、東京まで約一時間のところにあって、車を利用する者にとってはどこに出かけるにも好位置にあります。気候的には、たまには年一~二度雪が降ることがありますが、住みよいところです。ただ冬場の空っ風には慣れないと冷たく感じるようです。そんな群馬に住み着いていますが、もともと縁もゆかりない土地でした。
人間というか人生には節目と転機というものがあるように思います。たとえば、節目には義務教育が終わったとか、高校・大学を卒業したとか、あるいは成人式を迎えたとか、また、会社・役所を定年退職したなどがそれに当るのではないかと思います。
そして、転機というのは、本人にとって良いことにしろ悪いことにしろ、何らかの出来事があったということであろうと思います。結婚とか運命を決定する出会いも転機に入るとおもいますし、役員に昇進したとかいうように転機というのは良い方に使われることが多いように思われます。
しかし選挙に出るようなことも、転機が訪れたと表現するんではないかと思いますが、それも後になって結果が判ってから使われ、落選した場合にはあまり使われないような気がします。
ところで、私に転機が訪れたのは1966年10月26日のことでした。その時、私は母校で農業土木の実習助手でお世話になっておりました。この日、日教組が午後から半日休暇闘争を行い、組合員だった私は校長の制止にも耳をかさず参加したのでした。(つづく)
〔昭和36年度農業土木科卒業〕